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不登校・ひきこもり脱出体験記

16.オーストラリアへ/重荷がとれたように

息子がオーストラリアに留学しているとき、家庭の雰囲気は重りがすっかりとれた感じだった。
私の肩の荷もおり、緊張から解放され、一気に疲れが出て、逆に寝込んでしまった。
でも、どんよりした空気が清涼感のある空気になっていた。
不謹慎な言い方だが、何度いなくなれ、と思ったことか。
時差がないオーストラリアで、いま息子はどんなことを学んでいるのだろう。
新鮮な体験の連続だろう。
言葉は大丈夫かしら?
でも、慣れて、乗り越えて、日本に戻ってきたとき、ものすごいアドバンテージになる。
人生はどう転ぶかわからない。
息子からの便りが来た。
気分的にけっこうすっきりしているらしい。
「来て良かったかも」と書いてあったときには、心から行かせて良かったと思った。
心身症的な症状も最初はあったが、次第になくなっていったらしい。
もっと早く気づいていれば、とまたも後悔した。
でも、戻ってきたときは、逞しくなっている、と確信した。
息子に対する夫との話題、祖父との話題も全く変わっていった。
それまでは、将来を案ずることばかりだった。
海外留学時には、どんな道を歩んでいくのかしら、になっていた。
子供の将来を前向きに考えられる環境といったら!
将来を案じるより、期待する気持ちでいることは、はじめてだった。
親としてもこっちの人生を歩む方がいいに決まっている。
息子のひきこもり状態の時、この時期は私にとってオアシスだった。

17.失敗に終わる

だけど、海外留学の前後は空虚な砂漠しかなかった。
私たちの期待は見事に崩壊した。
息子の様子を知らせるメールを留学先から受け取ったときにだ……
そして息子の生活を案じるようになった。
前よりももっと苦悩に満ちあふれてしまった。
最高の方法と思っていたものも、もののみごとに失敗してしまったのだ。
息子は最初は心をさらけ出してやっていたが、時間が経つにつれて、どんどん殻に閉じこもっていったという。
無気力、無反応、時々荒れたりする。
ときどきイライラし、つねに体の不調を訴えた。
自律神経失調症だと診断された。
オーストラリアでも、日本と同じ状態なった。
息子と電話で話したが、声に張りが全くなかった。
最初の頃はいくぶん元気が出てきた声だったのに。
このままでは、逆効果だと言うこと、息子が帰りたいと言ったことで、日本に戻ってくることになった。
ふたたび夜中よく目が覚めるようになった。
息子と家族の将来を考えると、末恐ろしくなった。
成田に向かう車の中で私の心はすっかりどんより曇ってしまっていた。
また前と一向に変わらない生活が続くんだわ、と思うと背中がゾッとした。
そして、何にも手段がなくなった分、前よりもっと希望がなくなった生活になった。
時々、いなくなれ! と言って聞かせたい気分になった。
私もかなり病んでいた。
息子と同じく、無気力、イライラ、鬱気味、胃腸の過敏性に振り回された。

18.完全な引きこもり・絶望

部屋に閉じこもった生活が続いた。
私は泣き暮らした。
将来の不安ばかりが私を襲った。
いつも家にいる息子。
でも、追い出すことは出来ない。
今はまだ息子は若いからまだましだ。
私たちが最悪、保護してやることが出来る。
でも、ずっとこの状態が続いたらどうなってしまうんだろう?
ずっとニート、無職の状態でいってしまうのか?
息子は学校もろくに出ていないし、何にも技術を持っていない。
いじけた日陰の人生を送らざるを得ない。
まともに社会でやっていけるのか?
宮崎勤や宅間守、小林薫みたいになったらどうしよう。
社会の末端にも入れずに、ぐじゅぐじゅした報われない人生を送ってしまうんだろうか?
まだ私たちが元気なうちはいい。
もし働けなくなったり、老い衰えたときに、息子をもう守ってあげることができない。
息子と私、夫の誕生日が来るのが恐ろしくなった。
どんどん追いつめられていく気がした。
息子もそんな自分に危機をもったのか、ますます心がすさんでいった。
何をやっても自分はダメだ、という自信喪失は頂点に達したらしい。
ただ無駄に時間が過ぎていった。
大学にも専門学校にも通っていないし、働かなくてはいけない年齢だった。
もう不登校受け入れ施設に任せることができず、ひきこもるしかなくなった。
いつか気づいて自分の力で立ち直ってくれることに願をかけるしかなかった。
時々私も夫もストレスがたまって、息子に恨み言や小言をどうしても言ってしまう。
でも、それすら、息子を追いつめてしまっているだけなのだ。
こんなに愛しているのにどうしてわかってくれないのかしら、と嘆いて暮らした。

19.ひきこもりのおそろしさ

まだ不登校というのは、社会の理解も得られていい(実質ひきこもりでも)
誰にでも思春期にある心の危機だし、感受性の高い子供だからなるんだ、というふうにとらえることもできるから。
または、価値観が多様化しているこの時代だから、無理に学校に行かなくていい、というように。
でも、18歳を過ぎて同じ状態だったら、 もはや社会のつまはじきものだという認識になる。
メンタリティはまったく変わっていないのに。
時間が過ぎただけで、こんなにも大きなギャップができてしまう。
解決には時間が勝負だからといっても、私たちには何にも解決策がなかった。
方策が尽き果てていた。

20.後悔とノイローゼ

気が狂いそうだった。
なんで子育てってこんなにも苦しいものなのだろう。
どうして私たちだけ苦しまなくちゃいけないの。
息子をいじめた奴ら、そして担任に恨みを抱いた。
どうせいじめられた者の心の痛みを知らずにのうのうと生きているんだろう。
そう考えると殺意すら湧いたほどだ。
自分の保身のためになんにも対策をとってくれないで、そればかりか逆にひどいことを言った担任に対してが
一番憎悪の感情があった。
その落とし前はどうしてもらおうか、と本気で考えた。
しかし今更文句を言ってもお門違いととられるかもしれない。
なんであのときうやむやにしてしまったのだろう
自己嫌悪に落ち込んだ。
息子も私(夫)がちゃんとしてくれるのを望んでくれたのかもしれない。
期待に応えられなかったと思うといてもたってもいられなかった。
私も息子と同じようにくたくたに生きることに疲れてしまった。
毎日毎時間毎分毎秒が憂鬱でたまらなかった。
その間にも最低限の息子の心のケアを訪問心理カウンセラーにやってもらっていたが、
むろん良くなってくれるのを期待していたわけではない。
やらないよりはやっていた方がましだという程度だった。
なんらかの対策を絶対とっていた方がいいからだけど、希望がなかった。

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