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不登校・ひきこもり脱出体験記

11.高校かフリースクールか

高校はどこにするか考えた。
フリースクールに通わせれば、小学生の時のようにひきこもらないですむ、と思って通わせた。
このころの私たちは楽観的に考えていた。無理にでも考えようとしていた。
ただどこかに通っていれば、いつか息子がいじけたり、自信喪失の状況から立ち直ってくれるだろう。
息子に信頼をおいていた。
でも、あまりに甘い考えだった。
「いつか」はこなかった。
大学に絶対通わせたかった。
大検の資格を取ればいいから。
大学は自由だし、いじめにあうこともないだろうし、息子に一番合っている環境かもと思った。
とりあえずはフリースクールに通わせることになった。
でも、息子のベースのメンタリティが、社会不適応になっていたことに考えが向いていなかった。
それまでの息子の心の傷はまともな社会生活も日常生活も疎外してしまうほど強いものだったのだ。
時間とともに症状が軽減するどころか、悪化していっただけだった。
どうにか脱出させてあげたかった

12.不登校児受け入れ施設と将来への心配

18歳くらいまでは、不登校でも受け入れてくれる施設がある。
しかしそれを過ぎると、受け入れてくれるところはなくなる問題と不安が不登校の子供を持つ親に共通してある。
子供たちは 居場所がなくなるため、結局引きこもってしまう。
私たちが老いたとき、もしかしたら死んだら、息子はその時どうなるんだろう?
息子が社会に出なくてはいけない年頃になるにつれて、その考えにゾッとして、夜中ハッと目が覚めるようになった。
フリースクールや児童カウンセラーに相談しても、結局息子がいい方向に変われなかった。
時間とともにますます殻に閉じこもっていくように思われた。
苦しそうだった。
それでもだらだらと何の効果的な手段をとれずに17,18と年を重ねていった。
今度は不登校からひきこもりへと問題が変わっていった。
息子と同世代の子が青春を謳歌しているのを見て、この子は将来どうなるのか、青春を謳歌できていない息子がかわいそうになった。不幸せな人生だ。幸せにしてあげたい。
フリースクールでも友達がほとんどできていないようだった。
学校や施設を変えても、ベースがいじけて殻に閉じこもっているままなのだからしょうがなかったが。
他の子供と比べても元気がなかったことに不安を覚えた。

13.神科・心理カウンセラーに相談

心の問題とわりきって、精神科医や心理カウンセラーといった病んだ心を扱う人たちに息子のことで相談してみた。
心療内科医は薬を飲ませようとしたが、薬で一時的に改善しても怖さを感じやめさせた。
息子は街中で顔を上げて歩くことができないほど、自信を喪失していた。
心の闇をすっかり背負ってしまい、それとともに一生生きていかなければならない。
今更社会に入っても、すぐつぶされてしまう、とすっかり思いこんでいた。
私や夫や祖父母、そしてカウンセラーが励ましても、全然変わらなかった。
祖母はそのころ、孫の心配をしながら、あの世へ旅立った。

14.一筋の希望が

閉塞感が漂う家族の雰囲気に一筋の光明が見えた。
それはすべてを解決してくれる素晴らしい方法だと感じた。
必ず転機になると強く思った。
夫も乗り気だった。
その方法をなんで気がつかなかったんだろう、と悔やんだ。
前からその方法のパンフレットは目にしていた。
だが、なぜか素通りしていた。
あまりに、息子には敷居が高いと思ったのかもしれない。
海外留学をさせるというものだった。

15.海外留学へ

海外留学で、不登校の問題を解決する。
当時、家庭を訪問していただいた児童カウンセラーが薦めてきたのだ。
不登校・ひきこもり専門のカウンセラーの人が訪問しても、息子はいじけきった心を解きほぐそうとはしなかった。
カウンセラーも息子の心に入り込んでいくことができていなかった。
またか、とあきらめかけていたときに、海外留学の話が出た。
「日本の学校環境に合わないなら、思い切って海外で勉強や様々な体験をさせれば、子供にとっていい」という。
日本にいたらマスターできない英語を覚えられる。
同年代の学校に通っている子よりも優位に立てると思った。
そしたら自分に自信を持てるに違いない。
海外でしばらく暮らすと言うことは最初は息子にとって負担になるかもしれないが、なれればとても大きな価値を作るに違いない。
一気に息子の弱点を克服し、遅れを挽回できる唯一で最高の方法だと思った。
日本社会のような陰湿でじめじめした教室ではなく、カラッとした明るい雰囲気を想像できた。
その中だと、息子は自分を出すことができるに違いない。
どんどんいい想像がふくらんでいった。
夫も祖父も喜んだ。
誰よりも息子の状況を心配していた祖父が誰よりも喜んだ。
祖母が生きていればと思った。
問題は息子が実際行くかどうかだった。
無理矢理行かせれば、ますます自分の殻に閉じこもってしまうんじゃないかしら、とそれが一番心配だった。
息子は息子でちゃんと自分のおかれた状況を考えていた。
時々、ごめんねと謝ることがあった。
私に負担をかけてごめんねという意味だろう。
心が張り裂けそうになった。
乗り気ではなかったものの、このままではしょうがないという思いもあったようで、嫌だとは言わなかった。
計画を立てる段階で私はすっかり、うれしくなってしまった。
解決を半分できたような気でいた。
オーストラリアに行くことになった。
アメリカはテンションが高そうだという先行イメージがあって、のんびりしていそうなオーストラリアを選んだ。
あるフリースクールが代理店をしている海外留学だった。
留学までに英会話を勉強させた。
英文法は完全に忘れ去っていたが、暗記が得意な子だったので、結構はやく英会話を覚えていった。
久しぶりに「何かに取り組んでいる」息子を見た。
親にとって、子供が目標に向かって頑張っているのを見るものほど嬉しいものはない。
成田空港に息子を送りに行った。
きっとたくましくなって帰ってくるだろう。
最善の方法を息子に与えてやることができるのだ。
それが何より嬉しかった。
それまでが砂に水をかけるように空虚で意味がないものばかりだったから。

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